広島派遣から25年

紹介・解説

8月6日、広島に原爆が投下された日。今年は区の平和記念事業も縮小を余儀なくされていますが、私が小6の時に派遣事業で広島に行ったのが25年前(四半世紀!)。

手元にレポートが残っていましたので、恥ずかしながらブログに転載してみます。世界平和を目標として活動している私にとって、原点と言えるかも知れません。

※ 小学校6年生の文章ですので、配慮に欠ける表現などもあろうかと思いますが、ご理解いただければと思います。

目黒区立向原小学校6年 西﨑 翔

僕は、広島に行く前から、テレビや本で原爆や戦争のことを少しは知っていました。しかし、実際に広島に行って、原爆ドーム、平和記念資料館を見学してみると、僕が知っているのは、本当に少しだけだということが分かりました。

広島につくと最初に、被爆した山岡ミチコさんから話を聞きました。山岡さんは、原爆が落とされた時に医師にはさまれたそうです。そして、お母さんが助けてくれたそうです。山岡さんは、親ほどありがたいものはないと言われました。

山岡さんは、その後火傷のことなどで差別され、親戚の人にまで病気が移るとかひどいことを言われ、原爆で体だけでなく、心まで傷つけられてしまったのです。とても悲しいことだと思います。

山岡さんは最初は、アメリカ人をとても憎みましたが、今は原爆、戦争を憎んでいるそうです。アメリカ人はたくさんの人を殺しましたが、日本人も同じことをしたのです。それもよく考えなければいけないことだと思います。戦争という行為が敵味方の区別なく、人の命を奪っていくことを認識しなければいけないと思います。

翌日、平和記念式典に参加しました。そして、広島市長さんの話などを聞いた後、8時15分から黙とうが始まりました。このときの50年前原爆が投下され、一瞬の間にたくさんの人がなくなりました。原爆は本当に恐ろしいものだと思います。それなのに、現在、中国やフランスで核実験をすると聞いて、許せないと思います。

その後、原爆ドームと平和記念資料館を見学しました。平和記念資料館には、たくさんのものがありましたが、原爆が投下された直後の肉がとけて、皮ふがたれ下がっている人形を見た時、地ごくのようだと思いました。

夜になって川に行き、自分達で作ったとうろうを流しました。たくさんのとうろうがあり、とてもきれいでしたけれど、50年前に、この川で、たくさんの人が亡くなったことを知り、悲しくなりました。

僕は広島へ行ってとてもいい勉強ができました。今回学んだことをクラスに伝え、戦争や原爆の事についてよく考え、二度と戦争が起きないように、これからももっと勉強していかなければならないと思います。