流されていくわたしたち

神奈川総合高校 20期 小林まどか

私の地元は桜が満開です。近所の公園でお花見する人達がたくさん来ているみたいです。けれどそれも少しのあいだのこと。四月も二週目を過ぎれば桜は散ってしまうでしょう(私は詳しい桜事情については残念ながら明るくありませんので推測ですけれど)。なんと儚いものでしょうか。
旬が短い、というのは、人間も同じだと思うのです。それは、人間の寿命もそうですが、社会の流れを仕切ることも同じだと思います。

自己紹介が遅れました、私、神奈川総合高校という(いろいろな意味で)とても面白い高校に通っております、小林まどかといいます。西崎さんには、姫と呼ばれていました(残念ながら姫っぽさは少しもありませんが)。
さて、春休みの間、三日間という短い時間でしたが、とても素敵な体験をさせていただきました。西崎さんの元でのインターンは、新しい発見があったり、自分の考えを深められたり、とても貴重な機会だったと思います。人間の旬、というものも、その時感じました。
要するに、「今には今にあったやり方がある」ということです。それは政治だけではなく、例えば会社の経営、友達付き合いの広げ方、自分の探し方まで、色々なものに応用できると考えます。

例えば政治において言うならば、「同性間のパートナーシップについて」という点に関しては、長く政治活動を行ってきた方の中には「同性愛は病気」と未だに思っている方がいらっしゃるなど、今の潮流に乗れていない方も(いないと思いたいのですが)少なからずいるわけです。
単純に、「それってどうなの?」と思うわけです。個人的な話ですが、私は、「自分はLGBTに分類される人間だ」と思っています。別に恥ずべきことでも、隠すべきことでもないと思っていますが、今でもそれはタブーである、というように考えている人がいるということ。それって、今の時代には合っていないと思います。そういう人が少なからず政治にいる、ということは、同性愛を許さない風潮の世代の人が一定数いて、その人達が積極的に政治参加をしているということです。そして、私達世代、同性愛を許せる世代の人達が積極的に政治参加をしなければ、私達の求める政治、日本を作っていくことはほぼ不可能です。
それは同性愛に関することだけでは勿論なく、例えば保育園問題とか、年金問題とか、全てのことに関係してくると思います。

「こうしてほしい」「こういう制度があればいいのに」そう思うなら、私達は簡単に政治に関わることができるのだから、選挙に行けば良いと思います。全く選挙にも行かず、ただネットやテレビで騒がれている問題に、ただ流れてくる情報だけを信じて、自分の意見を持たずに、批判したり不満を垂れたり。そんな大人には絶対になりたくありません。

政治に関心をもつ、というのは「意識の高いこと」だと認識されているような気がします。少なくとも、私の周りでは。でもこれって、意識が高いわけじゃないと思います、むしろ、普通のことだと思うのです。自分の置かれている状況に無知、関心がないなんて、危なすぎると思います。知らない間に自分が大変な事になるかもしれないのに。そう考えると、今の私達はかなり危ない状況に置かれているのではないでしょうか。

政治は遠いもの。実は私もそう考えていました。
幸い両親は選挙に行く人間だったし、私自身それなりに政治というものについて考えることもあったけれど、それはあくまで「私の外のこと」としてでした。「政治家の質は有権者の質」という言葉を聞いてはっとしました。
流行には乗りたいけど、受身になって流されるのが楽。旬を過ぎれば忘れてしまう。そんな雰囲気が結構あると思います。私も楽をしたいし、そう思うのも仕方がないことだけれど、決して良いことではないと思います。

日本の、政治の、政治家の質を上げていくために、私達の質を、意識を高めていかないといけないと思います。

感想、と言うか私の考えをぶちまける形になりましたが、この長くて分かりづらい文章が誰かの新しい発見につながれば幸いです。西崎つばささん、みなちゃん、三日間でお世話になった皆さん、本当にありがとうございました。またお会い出来る日まで。